箕面市平和のまち条例を作る会

2007年 03月 04日 ( 6 )

意 見 陳 述 (1)

意見陳述書


 2007年3月2日に、箕面市議会本会議場で行われた箕面市平和のまち条例制定請求に対する(意見陳述)の内容を、陳述の順に掲載します。
(1)恩地庸之
(2)三宅裕子
(3)中井多賀宏
(4)古川佳子

(間に 傍聴記 などが入り、順序がずれましたが 修正できません。ご了承ください)



意 見 陳 述

2007年3月2日
箕面市平和のまち条例をつくる会
代表請求者 恩地庸之


まず、私たちの平和のまち条例制定請求に対して藤沢市長が賛成の意見を表明されたことを私たちは大変嬉しく思っていることをお伝えしますとともに、改めて感謝と敬意の念を表する次第です。

A. 反対意見に対する主張

今、全国の多くの地域で平和条例や無防備地域宣言の取り組みがなされています。他市で挙げられてきた論点も参考にしながら、本条例案の主な内容の論拠について申しあげ、次に私自身の思うところを述べさせていただいて私の意見陳述とさせていただきます。

1.まず、ほとんどの自治体でなされている平和宣言の類との関係です。こうした宣言があるので、改めて平和条例は要らないという反対意見があります。箕面市でも1985年に非核平和都市宣言がなされています。
この宣言は理念であり、非核の指標を示したものです。しかし今日の状況は、この理念
に逆行する様々の立法やキナくさい動きに満ちています。このような時に、この優れた宣言が色あせたまま、倉庫に眠ってしまうようなことでは何にもなりません。宣言の理念の実現のために、具体的な自治行政を進める必要があると考えます。この条例制定は、そうした具体的行政を求めてのものであります。宣言は「憲法にうたわれている平和の理念に基づ」くと謳っているわけですが、本条例案は、まさにこの憲法に基づいた平和行政の遂行を願い、それをひとつの根本として私たちのまちづくりを行なうことを求めているものであります。「宣言」は宣言のままでは実効を伴いません。「宣言」という大木に、条例という実をみのらせなければならないと考えます。したがって、屋上屋を重ねるといった性格のものとは全く異なります。

2.次に、これはもっともよく言われることですが、無防備地域宣言や、本条例案の第3条にある大量破壊兵器の配備、持ち込み、運搬等の禁止や市の財産を戦争目的に使わない等といった条項が、地方自治法第14条1項に抵触するという反対意見です。地方自治法のこの条項には自治体が「法令に違反しない限りにおいて」条例を制定できるとされている、すなわち、こうした条例制定は法律違反だからできないというものです。
この場合の「法令」とは、地方自治法を指しているとは思われません。こうした平和条
例や無防備地域宣言を制定してはいけないという規定は、地方自治法にはないのですから。そこで、よく言われるのが武力攻撃事態対処法や国民保護法との関係です。しかし、そもそも、これらの法律は戦争放棄を明記した憲法に違反しているものであり、したがって「法令違反」という根拠自身が成立していないと私たちは考えます。その上で申し上げますが、これらの法律にも、こうした平和条例や無防備地域宣言の制定を禁じる条文はありません。むしろ武力攻撃事態対処法第5条には「地方公共団体は、その住民の生命、身体、財産を保護する使命を有することに鑑み、国その他の機関と相互に協力し、武力攻撃事態等への対処に関し、必要な措置を実施する責務がある」という旨が記されています。武力攻撃事態等への対処に関し国等と協力するという条件も、あくまで「住民保護」のためと記されているのです。
国民保護法についていえば、この第9条2項には「国民の保護のための措置の実施にあ
たっては、国際人道法の的確な実施を確保しなければならない」旨定められています。この国際人道法にジュネーブ条約第一追加議定書が該当することは明らかですが、この議定書は、無防備地域宣言や軍事施設と文民の分離などを定めたものであります。
地方自治法第1条の二の冒頭には「地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする」と、地方自治の根幹が謳われています。そして続く第2項には、「国家としての存立にかかわる事務」など国との役割分担が述べられていますが、この役割分担はあくまで前項のこの規定の趣旨を達成するためとされており、また「地方公共団体の自主性および自立性が十分に発揮されるようにしなければならない」との念も押されているのであります。自治体が「住民の生命・財産を保護」することは、この地方自治法の冒頭にしるされた「住民の福祉の増進を図る役割」そのものであり、そしてそれは、もっとも住民の安全、福祉を阻害する有事のときにこそ、十分な意を払って、すべての自治体において発揮されるべきものであると考えます。
以上のように、こうした条例制定は地方自治法は無論、武力攻撃事態法にも国民保護法にも抵触してはいません。そればかりか、これらの有事法には、自治体の本旨である住民保護のための活動を保障する規定がなされてさえいます。国民保護法の国際人道法遵守の条項は、国が、この法律を制定するためにやむを得ず盛り込んだものとは十分伺えることではありますが、国がこれを無視していても、地方自治体が独自に判断をすることで、住民保護という本来の責務につくことができるのではないでしょうか。

3.無防備地域宣言は一地方自治体ではできないとの政府見解があり、これを基にした反論があります。しかし、これを規定したジュネーブ条約第一追加議定書第59条2項は、「紛争当事国の適当な当局」が無防備地区として宣言できるとしているおり、国に限定していません。これには、自治体が宣言することを想定し、宣言主体を「国」から「適当な当局」にしたという経緯があるとのことです。そして赤十字国際委員会のコメンタール2283号では、明確に、この宣言は「町長、市長、知事といった地方民生局から出されることもありうる」としています。解釈を勝手に曲げる政府の行為こそ問題なのではないでしょうか。

4.無防備地域宣言は自衛権の放棄だ、白旗を掲げるものだという批判もあります。私たちのこの運動には、殺されるのはいや、殺すのもいやという強い思いが根本にあります。無防備地域の宣言には、市民のこうした思想的な意味合いも反映されていると私は思いますが、いずれにしろ、仮に「占領」という事態になっても、住民の基本的人権を保障すべきとの、この国際条約も駆使をし、非人間的な支配は許さないという世界の人民の監視、あるいは包囲によって、地域の保全が確立されるようにしていきたいということなのです。

5.次に、軍隊や兵器の配備、運搬など軍事上の問題と自治体との関係ですが、これらの差配を直接自治体ができないことは自明ではあります。赤十字コメンタールによれば、この場合に、まず自治体は政府や軍当局との協議、合意に努めることになりますが、その際には、自治体は住民保護の第一義的責任を負う主体であること、地域住民の状況を具体的に把握していること、また政府・軍当局も文民保護の原則遵守を義務づけられていること、そうした責務、立場にのっとって、この協議、合意を進めることが求められています。
このように、条例や宣言にこうした内容を盛り込むことを違法とか筋違いなこととは言えません。むしろ、国が戦争への方向にある今のような時こそ、自治体や市民は国の施策に対して発言し、その変更を求め行動しなければならないと考えます。

以上述べましたように、条例案は、憲法、国際条約、そして地方自治法などに則ってい
ます。いうまでもなく法律も条例も、上部法規である憲法や国際条約に則り、また整合されていなければなりません。政府やこれまで反対されてきた地方議員が、国の最高法規である憲法に違反しているとの指摘が強い有事関連法に主に依拠して行なっている反論と、私たちの主張と、いずれが適法であり正当であるかはすでに明らかではないかと思います。

6.この条例制定の意味について強調したいことの一つは、これは、無防備地域の宣言をすること自身や、いわゆる有事に備えて条例をつくっておこうといった主旨より、むしろ平時において私たちの足元から憲法9条に沿ったまちづくりを進めよう、そしてジュネーブ条約第一追加議定書第59条の「戦闘員や兵器の撤去」など非武装の精神を具現した4項目が平素から意識されつつ平和構築への取組みが実践されるように、ということが主眼であります。こうした<今現在>の活動の方針、基盤として制定を望むものであります。
国際条約の活用もこのように提起をしているわけですが、この点については、「戦争を前提とした」ジュネーブ条約に依拠する平和条例には反対とのご指摘もあります。しかし、国際人道法もそうですが、このような指摘をしている方たちが評価する憲法もまた、様々の歴史過程の中で作られている法的基準の一つといえると考えます。その優れた内容を活かし、また、これを築いてきた人類の叡智と業績には評価と感謝の念をもって当たらなければなりませんが、また同時に、人類の真の解放という普遍的観点からは不十分性は持ったものと捉える必要はあると私は考えます。その意味で、私は、法律に過大な期待をするのはどうかと思いますし、法規範というのは、端的に言えば、活用できる内容を活用していくものだ、と捉えます。こうした意味でいえば、憲法が○であれば、条約も○のはずです。条約も憲法も、出自より内容です。まして、今の危うい時代に対する火急の課題であればなおのこと、部分的な相違をこえて大同団結する姿勢が求められるのではないかと思います。ぜひご賛同いただくよう訴えます。

なお、市長「意見書」では無防備地区宣言の時期および条件が不明と指摘されています。
この点については、私たちは本条例案第4条の「ジュネーブ条約第一追加議定書第59条に定められた」との記述により、これは戦時に際して宣言するものであり、「敵対する紛争当事者による占領に対して」という条件下で宣言するものと解釈されるとの認識であります。この「条件」が無防備地域の条件を指しているのであれば、同条2項に記されているとおりの4条件であります。また本条例第5条2の「平和推進委員会」については、これは「付属機関」として位置づけていること、第6条の「平和予算の計上」については、市長の予算編成権、議会の予算審議権を制約するものではないことを明らかにしておきます。

B.私の感じたこと

<なぜ戦争が起こるのか>

次に、この平和条例制定請求の取り組みを通じて私の思うところを、議会、そして市民の皆様にも訴えたいと思います。
今回本当に多くの方から署名をいただきました。これらの署名は、街頭での僅かな機会や、また百名に満たない受任者の知り合いからいただいたというものです。趣旨に賛同していただける市民は、実際にはこの何倍もあると想定するのが妥当だろうと思います。また、署名をいただいた方には保守政党の支持者もおられることでしょう。これだけ多くの人が戦争を忌避し平和を熱望する思いを持っているのに、なぜ国は逆に戦争への道をひた走るという状況がまかり通るのか、市民、というより国民の多くが、戦争は反対と考えているのに、なぜそれが政治に反映されないのか-。考えてみれば、不思議なことです。もちろん、「平和には賛成だが、国が戦うときには別だ」という人もいるでしょうが、私たちが署名活動で相対してきた中では、「とにかく戦争はあかん」と国の戦争を全面否定する人が圧倒的でした。なぜ、この声は生かされないのか。
それは、国の政治が戦争によって利益を得る者の権益を中心に行なわれているからに他ならないからだと思います。戦争によって利益を得る者とは誰か。いうまでもなく巨大企業群です。彼らは自らの権益を拡大する政治を期待する。巨大な資本を背景にしたこの期待は、自ずと実践される。すなわち政治家の多くが、この大資本家群のための政治的役割を担う者としてある。こうして国の方向が財界、政界の権力層によって決められる。そして彼らを保護する軍隊があり、また、この権力層に追随し、戦争となればおこぼれがあるだろうと期待する様々な層が支持をし補完している。基本的には、こうした構図に、いまの日本の国の政治は在ると、私は思います。
「いまさら陳腐なことを」という声が聞こえてきそうですが、しかし「社会主義」が退潮し、今は多様な価値観の時代ですといったところで、この原理、現実に変更が起きたわけでは決してありません。この最も重要な本質問題は、いま人々の目から遠のいているかのようですが、それは権力層によって必死に封印、隠蔽されているからにすぎません。
戦争はなぜ起こるのか。なぜいつまでも続くのか。平和は願うだけではやってこないと、私たち会の広報には書いています。そしてまた平和は叫ぶだけでもやってきません。懲りもせず戦争を起こす元のところを暴き、その仕組みを壊滅しなければ戦争はなくならないと思います。誰が、何のために、戦争を起こそうとするのか-。原因を把握しなければ、結果を得られないことは、ものの道理であります。
古今東西、戦争はまず侵略戦争でありました。先進国が後発国の安い労働力と市場、資源とを求めて、また先進国どうしがこうした国々への覇権と分割を求めて戦争をする。これが今までの世界の戦争の歴史でした。もっとも侵略は、侵略するほうが「これは侵略です」といって侵略はしません。それはかつてのように「五族協和」であったり「解放」であったり、また「世界平和への貢献」という名目であったりします。侵略の形態は、これからより巧妙に変化するかもしれません。美辞麗句で装うプロパガンダに隠された本質、事実を私たちは見逃してはならないと思います。
日本は、この侵略戦争を一段と過酷に、残虐に犯してきた過去を負っています。いま、国民保護法という法律までもってして、ミサイルが飛んできたらどうするかなどと、あたかも外からの侵略危機があるかのようなことが喧しく言われていますが、少し冷静に四囲の現実を見れば、私たちが心配すべきは侵略される危機ではなく、侵略を犯す危機であろうと思います。日本には侵略した歴史はあっても、侵略されたといえる歴史はありません。まして世界有数の軍事力を持つ今、とくにアジアとの関係で侵略、被侵略の関係が反転してきている状況など、どこを探してもありません。私自身は、平時、戦時を問わず、この無防備地域宣言4条件に共鳴を感じるのは、こうした考えにもよるところが大であります。

<地方自治体の役割>

国の政治がこうした構図にあり、戦争に向かう仕組みを持つ中で、それでは地方自治体は何をでき、何をしなければならないのか。まさしく、こうした時代状況にあるからこそ、自治体の毅然とした、かつ速やかな行動が問われていると思います。署名された方が、今まったく安心な「平時」であると認識されているのなら、これだけの数は集まらなかったと思います。
この条例案の法的根拠については、先に述べたように、厳然としてあります。しかし法律というのは、えてして反対の立場からは別の主張にも使われたりします。その時に問われるのは、その人の立場、思想だと思います。議員の皆さんが、自ら住むまちをどうしたいと考えられるのか、市民の思いにどう応えるのか、です。問われるのは、法的解釈のあれこれに専念することより、依拠するなら住民の保護、福祉を定めた法律にまず依拠をし、さらには主体性自主性をもって取り組むことではないかと思います。そのことを強く要請したいと思います。
自治体の自主的な取組みの事例では、-一市民が議員の皆さんに紹介などするのはおこがましいとは存じますが-、近くでは、入港する船艦に対して非核証明の提示を義務づけた、皆さん周知の神戸市市会決議があります。また神奈川県大和市では、2年前に制定した自治基本条例の中で「市長及び市議会は、市民の安全及び安心並びに快適な生活を守るため、厚木基地の移転が実現するよう努める」との軍民分離に沿った条文をつくっています。「自主性」と言えば、この大和市では、この条例でわざわざ「法令の自主解釈」との条文を設け、「市は、地方自治の本旨及び自治の基本理念にのっとり、自主的に法令の解釈及び運用を行うことを原則とする」とも制定しています。また苫小牧市では2002年の「非核平和都市条例」で「国是である非核三原則の趣旨が損なわれるおそれがあると認める事由が生じた場合は、関係機関に対し協議を求めるとともに、必要と認めるときは、適切な措置を講じるよう要請する」と、非核三原則の遵守に踏み込んだ姿勢を示しています。ここでは、平和・無防備地域宣言条例に対する反対意見の論拠の一つである「軍事・外交は国の専管事項」という観念は覆されています。いうまでもなく沖縄は、この「専管事項」に対し、最も熾烈に闘われている例であります。地方自治体として独創的に取り組まれ、闘われている例は、このようにいくつもあります。

最後に、真剣にご討議いただいた上で採択をいただけるよう改めてお願いをして、私の意見陳述を終わらせていただきます。
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by heiwa-minoh | 2007-03-04 08:00

陳述を終えて

陳述を終えて

三宅です。
昨日は持病の花粉症で最悪のコンディションでしたが、みなさんのお陰さまで夢のような大役を果たせることができ、とても充実した一日でした。
9:30に集合した請求代表者4人は、議会事務局の担当者の方に進行説明を受け、議場の下見をさせていただきました。
だれもいない議場は、傍聴席から見るよりも案外狭く感じ、当然本番は議員全員が座っておられたので、すごい一体感でした。

Sさんは、電光掲示板をものものしく感じられたようですが、私は、会場にいる全て人の共有できる方法としては、よく準備してくれたと思っています。
但し、残時間が掲示されるので、トップバッターの恩地さんは引き算できなかった・・・とおっしゃっていました。
二番手の私は、ちゃっかり計算をしておいたので、安心して時間通り進めることができましたよ。

終わってからは、わざわざ伊丹市から傍聴にこられていた方ともお話ができました。
これから、伊丹市でも取り組んでいかれることになるのでしょう。
近隣への波及効果があったという嬉しい産物になりますね。

皆さんからのメールをみて、改めて市民力を実感しています。
今回の一連の活動は『一人より二人は強い』というフェミニズムの実践になったので、昨日のスピーチも全く物怖じすることなく、あの場に立てていました。
花粉症さえなかったら、息切れしないでもう少し綺麗な声で読めたのに・・・悔しい!!でも、精一杯の出来だったので、昨日の私にとったら100点満点です。

傍聴席から応援してくださったみなさん、本当にありがとうございました。
エールを送り続けてくださっているみなさん、これからも私たちのつながりを大切にして、ほんとうに平和な箕面をつくって行きましょう。

3/7 10時~は文教常任委員会の傍聴で会いましょう。
私は、「この日は市民がしっかり議員の意見を聴く日」と位置づけます。
他の傍聴者の方にも、「集中して傾聴するように=野次らないように」ことを提案します。野次るのを聴くと、怖くてドキドキして傾聴できないからです。

この後の予定は、3/7の内容を踏まえて、9・10・11くらいでミーティングを開催する予定です。詳しくは、日時決定してからお知らせします。
3/21の平和市では活動報告会的ブースを展開しますので、また皆さんのご協力をよろしくお願いします。
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by heiwa-minoh | 2007-03-04 07:33

意見陳述 傍聴記

議会陳述 傍聴記

議会事務局に確認すると、今朝の傍聴人は40名だったそうです。

議会事務局は、初めてのことなのでたいそうに構えておりました。
たとえば、議場真ん中あたりに職員とともに置かれたあの大げさな電光掲示板です。
50分の制限時間を少しでも越えさせまいと、残り時間を刻々と表示していくものです。
議長も、「陳述人の出入りの時には時計を止める」など、事細かな注意を行いましたが、もうちょっと鷹揚に構えられないものかと思いました。
議長といえば、陳述人に対して「発言を許します」という言い方はいかにも尊大でしたね。地方自治法で権利を認められて発言するのに「許す」はないだろうと思いました。

恩地さん、三宅さん、中井さん、古川さんの順で陳述は行われました。私は原稿を見ないで、みなさんのお顔を見ながら耳を傾けました。

恩地さんは、予想される反論をあらかじめ一つ一つ押さえながら、理性的に述べられました。傍聴席で啖呵を切って退席した恩地さんを見たことがありますので、もっと強烈なスピーチを予想していましたが、淡々と語られ、しかしかえってそれが説得力がありました。

三宅さんはきのうまでの心配はどこ吹く風、登壇したときから笑みさえ浮かべて堂々の陳述でした。とくにドラマタイズされた市民の会話の部分が光っていました。

中井さんは、登壇された時、光線のせいか黒髪に見えたのでかつらでも被って出られたのかと思いました。「こんな紫の髪の人間が議場で話すのもめずらしいので・・・」と言うイントロで私は思わずクスリっと笑いましたが、議場はシーンとしていましたね。原稿から離れて生の言葉で語られました。国際法、憲法、条例の関係などを聞きながら、法律の授業を受けているようで興味深かったです。議員さんたちが授業を受けている生徒のように見えました。

古川さんのスピーチには、長年の平和活動からにじみ出る風格というものがありました。かつて古川さんの「母の絶唱」という文章を読ませていただいたときに、涙が溢れて止まらず、友人にも読んでほしくて、何人かコピーして渡したことがあります。お母さんの、そして妹としての悲しみを怒りに変えて闘ってこられた古川さんに、議場での発言という機会がめぐってきて、本当によかったなと感動して聴いておりました。

それぞれのスピーチのあとには、傍聴席から大きな拍手がおこりました(A議員さんが机の下でひそかに拍手していたのが見えました)。

そのあと「質問はありますか」の議長の声に林恒男議員が手を上げて「通告外」発言をしました。前もって質問を提出していない「通告外」というやり方はいやらしいと思いましたが、質問はやはり「無防備地域宣言」と「国民保護計画」との整合性であり、想定されるものでしたので、とくに驚きはありませんでした。藤沢市長を困らせるための質問です。

これに対し藤沢市長は「国民保護計画の中で言う地方政府が行う事務とは、戦争をするための事務ではなく、市民を保護するための事務である。憲法9条がある限り戦争をするための事務はできない」とはっきり答えました。

それ以上に質問は出ませんでした。よってこの議案は3月7日(水)の文教常任委員会で検討されることになります。

平和条例についての議題が終わって、会派の代表質問に入りましたが、今回はたまたま増田京子さんがトップバッターだったので、平和条例の応援演説から始められたのが、とてもタイムリーでよかったですね。

以上、ほっとなうちにご報告いたしました。  S記
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by heiwa-minoh | 2007-03-04 07:23

意見陳述 (4)

意見陳述 (4)

箕面市平和のまち条例(案)直接請求についての意見

2007年3月2日
箕面市平和のまち条例をつくる会
代表請求者 古川佳子


古川佳子でございます。新稲におよそ66年住んで、今年80才になりました。本条例案にかかわる私の思いを述べさせていただきます。
先日、新聞で次の短歌を目にしました。<珈琲豆コスタリカ産と決めて挽く武器持たぬ国と知りて久しき>。私も「武器を捨てた国コスタリカ」という映画をみました。軍事費を教育と福祉と観光に当てているという小さな国です。日本は世界に誇る憲法前文と9条と20条という戦争犠牲者の血で贖われた平和憲法を持ち、曲りなりにも戦後60年余り、平和を保ってまいりました。でも、自衛隊と軍備をしこたま持ってしまいました。安倍内閣は、戦争ができる「ふつうの国」を目ざして憲法改悪をはかり、国のために死ねる国民を育てんがために、目下「愛国心教育」に本腰を入れています。コスタリカに憧れる私の夢はどんどん遠のいていきます。ところが、平和を願う人びとの知恵と勇気と努力は各地でフツフツと沸きあがっていて、「9条の会」が全国的に拡がり、「平和条例直接請求署名」運動も立ち上がりました。
ジュネーブ条約は、紛争がおこった時、軍事関係以外を攻げきしてはならないとしていますが、それに第1追加議定書が設けられたのは、市民社会の中の軍事施設をきびしくチェックして排除しなければ市民が巻きこまれることになるからなのです。
戦争にまきこまれるのは絶対いや!というのは、今度、この条例の署名集めでもよくわかりました。私は1927年、あえて元号でいうと昭和2年に生まれ、「一木一草にも天皇制がやどる」といわれた時代でした。
「日本ヨイ国 キヨイ国 世界ニ一ツノ 神ノ国」と洗脳され、天皇のために死ぬのが最高の道徳だとたたき込まれました。ですから、2人の兄が兵士になるのは当然だと思っていたし、日本中の都市が米軍の空襲で焼土と化しても、大うその大本営発表を信じて、いまに神風が吹いて日本は勝つのだと思っていました。防空訓練は、隣り組でも学校でも強制され、バケツリレー、縄の火たたき、砂ぶくろ等で、強大な米軍に立ち向かえと言われました。箕面は、今の山麓線の辺りに爆弾で大穴があけられたくらいでしたが、私の妹は三国で空襲に遭い、命からがら逃げ帰ってきました。45年3月の大阪大空襲の夜、二階から南の方を見たら一面の赤黒い火の海で、一体何が起こっているのかと、呆然と眺めたのを覚えています。
15年戦争が終った夜、電灯の黒布をはずして明るくなった部屋で、家族が笑い合い、ああ、これでお兄ちゃんたちが還ってくると、「平和」を痛感したのでした。私が18才の夏でした。ところが2人の兄は、すでにビルマと台湾で戦死していました。母は<これに増す悲しきことの何かあらん亡き子二人を返せこの手に>と、天皇と国家に向けて怒りと悲しみをぶつけました。私は母の悲憤を常に胸に抱きながら、1976年から99年までの24年余りを「箕面忠魂碑違憲訴訟」に原告として全力を注ぎました。
戦没学生の手記『きけ、わだつみのこえ』に<死んだ人々は還ってこない以上、生き残った人々は何がわかればいい? 死んだ人々には慨く術もない以上、生き残った人々は、誰のこと、何を慨いたらいい?>(ジャン・タルージュ 渡辺一夫訳)という詩があります。皆さま、どうかこの詩を胸に深く刻んでください。戦争ほど大きな罪悪はありません。いまも世界のあちこちで戦火が絶えません。
「平和のまちづくり条例」が市民の手で日本中に拡がっていけば、どれほどすばらしいことでしょう。箕面がそのさきがけになってほしいと熱望します。日本の政治状況がとても悪くなってきたからでしょうか、近ごろ市民の中に新風が吹きはじめた気がします。
箕面が村だった遥か昔の私の記憶には、麦の緑と菜の花とレンゲ畑がじゅうたんのように拡がっていた風景が鮮やかにやき付いています。今は127,500人の立派な市になり住宅がびっしりですが、六個山と箕面公園に昔のままの心安まるたたずまいを残しています。このすばらしい環境の中で私は3人の子を育て、常に平和運動に足軸を据えながら、多くのことを学び眼を開いていくことが出来ました。
昨年8月11日、私は国と靖国神社を相手に「靖国合祀イヤです訴訟」を始めました。原告は台湾の遺族を含む9人です。国が始めた侵略戦争に加担させられたわが肉親を神として祀り、英霊と讃め称えられるのは、後につづく戦死者を迎えるために利用されているに過ぎないので、合祀を取り消してもらいたいという訴えです。
戦争は天災ではなく人災です。将来、「あの時、大人はどうして戦争を止めなかったの?」と子どもたちから言われないようにしたいです。いま私たちは重大な岐路に立っているのではないでしょうか。市民の代表である議員の皆さまは、大きな勇気と理性をもって、本条例案をじっくり吟味していただきたいと思います。
拙い意見をお聞きくださり有難うございました。               終り
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by heiwa-minoh | 2007-03-04 06:29

意見陳述 (3)

意見陳述 (3)

「箕面市平和のまち条例」意見陳述」 
2007年3月2日
箕面市平和のまち条例をつくる会
代表請求者 中井多賀宏


             
<はじめに>
 民間憲法研究団体ベーツ憲法研究所代表・みのお9条の会呼びかけ人をしております中井多賀宏と申します。現在は憲法書をはじめとした法律書籍の著述業をしております。また、様々な場所で憲法の講義をさせて頂いております。
 その憲法講師としての経験から感じることなのですが、市民の皆さんは非常に憲法に対する関心が高いということです。その中でもとりわけ9条に対する関心の高さはこちらが驚かされるほど熱心に勉強に取り組まれています。
 そう言った経緯から、まずは憲法9条と本条例案との関係からお話をさせて頂こうと思います。


<憲法9条との関係について>
 日本国憲法の最高理念は憲法13条に謳われている「個人の尊厳」です。そしてそれを支える重要な柱として「国民主権」「基本的人権の尊重」と共に、日本国憲法の三大原則に数えられるのが憲法9条の「平和主義」の理念です。
憲法9条2項には「国の交戦権は、これを認めない」と明記されています。この点について、これは、日本国憲法が徹底した平和主義を採っている現れと解されております。
 憲法前文における平和主義、そして国際協調主義と相まって憲法9条が定められた趣旨は、まさに徹底した戦争放棄を意味しているものであると考えられます。
この点から考えるに、この平和条例は憲法9条の具現化であり、世界でもまれに見る徹底した平和主義を採用している日本国憲法の精神にしっかりと合致したものであると解されます。
この点、「平和施策を推進する」という宣言を平時から発するものである平和条例は、国法の最高規範である憲法の精神を具体的に現すものであり、殊に、市民の意見を集約した署名による条例制定請求によって発案されたものであるということは、非常に意義があるものであると思います。
たとえ9条1項の解釈をいかに捉えたとしても、先述しましたように、9条2項において、国の交戦権を否定している一文がしっかりと明記されていることから、国を始めとして地方公共団体に於いても、平和施策を実施することが予定されているものであると考えます。
その意味からも、この平和条例を制定することは、憲法9条が、あらかじめ予定しているものであると考えることができると思います。そしてその事こそが、真に「市民を戦争の惨禍から守る」ということになると考えます。


<憲法前文「平和的生存権」との関係>
憲法前文の法的効力、つまり「平和的生存権」の法的性質について考えてみようと思います。
 通説的には「法規範性はあるが裁判規範性はない」と解釈されています。
すなわち、前文は、努力目標と言うほど弱くはないが(これを「プログラム規定」と言います)、裁判所で具体的に問題に出来るほどの具体性がない、つまり、具体的立法が成されて初めてその効力が発揮される、と主張されることがあります。
しかし、憲法前文も憲法改正手続を経なければ変えることが出来ないものであるということ、そして、平和的生存権は平たく言えば「平和に生きる権利(the right to live in peace)」として、戦争による惨禍が市民に降りかからないようにするという内容を持った本条例により具体化は充分に可能であり、そしてそれを実際に施行することこそが、今まさに必要であると思います。そして、それこそがまさに、この平和条例の持つ意義であると考えられます。    
なにより、箕面市が平時からこのような条例を日本で最初に宣言することは、国内はもとより諸外国においても注目を浴びることになると思います。従って、それを機に、本当の意味での平和な世界が、この箕面市から築いていくことが出来るものであると思います。
 このように、真の平和、そして市民の安全・幸福のために、その一歩を最初に踏み出すのがこの箕面市であるということは、何物にも代え難い宝であると考えます。
 憲法の最高利念である「個人の尊重」、そして、「戦禍から市民を守る」ということの本当の意義が、この平和条例に詰まっていると考えています。


<憲法25条「生存権」との関係>
また、憲法には25条において「生存権」が規定されています。この「生存権」は、まず1項において「健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する」と規定されています。そして2項において、1項における生存権を具体的に実現するために努力する義務があることが規定されています。
そしてこの生存権は「社会権」としての性質を有するものであり、市民が国家に対して請求していく権利であるということを意味します。
この点、25条の「生存権」は、これまで主に経済的な見地から理解・運用されてきました。
しかし、「平和の中に生きる」ということも、「健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する」という25条の精神に合致するものであると解釈することが可能であると考えます
その意味で、この25条「生存権」の具現化として平和条例を制定する必要性は非常に高いものでありますし、またそれを整備することが、国家をはじめとして、地方自治体においても憲法の精神に合致するものであると思います。


<条約・憲法と条例の関係>
また、法律間の優劣関係という問題があり、学説における通説的見解は、「憲法→条約→法律→条例」というように解釈されています。
この点、現行のいわゆる一連の有事立法は、憲法前文・9条・25条などの精神に反するものである疑いが強いことから、「下位法である条例が上位法である法律に反することはできない。従って、有事法と矛盾するように思われる平和条例は制定できない」という主張は、実のところ成り立たないと考えています。
法規の効力における優劣関係としては先程の解釈以外に、「条例→憲法・・・」という解釈も主張されることもあるのですが、少なくとも憲法違反の条例は、国内法的効力としては無効であると解する説が学説においても通説的見解を占めています。
従って、逆に、憲法に合致する条約であるならば、憲法上の規定にもあるように、国民に周知する義務や、誠実に遵守する義務が発生します。
この点、ジュネーブ条約、そしてジュネーブ条約追加議定書は憲法の精神に合致した条約であると解されるところ、国家はもとより、地方自治体においても、市民に対して周知する義務や、誠実に遵守する義務があると思います。
そのためにもこの平和条例を制定し、平時から周知していくことは、憲法の精神に合致するものであると考えます。


<地方自治の役割、そして地方自治の本旨について>
中央の議会制民主主義は、多数の意見を集約して統一的に実行するために「民意の統合」が重視されます。
それに対して、地方自治体は、中央の議会制民主主義を補完するものとして、「民意の反映」、すなわち、直接民主主義の色合いが強い制度が採用されています。
今回の市民の意見による条例制定の直接請求はまさに「民意の反映」の結果であると考えます。
憲法上「地方自治の本旨」と言われる理念の具体的な内容は、「団体自治」「住民自治」というものであります。すなわち今回のような条例制定の直接請求は、まさに「地方自治の本旨」であるところの「住民自治」、すなわち、先述しましたように「民意の反映」の具体的現れであると考えられます。
それ故、今回集まった市民による署名の重さは、箕面市において「住民自治」がしっかりと機能しているものであると思います。そしてその意思を尊重して頂けることを心から願っています。


<終わりに>
 以上のように、本条例は平和施策への取り組みを平時から推進していくことを宣言するものであり、 真の意味で市民を守るものであると考えています。
 市民の意思である平和を希求する精神を、日本全国に対して、そしてひいては世界各国に向けて発信していく起点が、この箕面市になれば、これ以上に素晴らしいことはないと思います。
 全国に先駆けて、箕面市からスタートを切ろうではありませんか。皆様のご賛同を心から願ってやみません。
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by heiwa-minoh | 2007-03-04 06:24

意見陳述 (2)

意見陳述(2)

「箕面市平和のまち条例」意見陳述」
2007年3月2日(金)
三宅 裕子

私は如意谷に住んで18年目になる主婦の三宅裕子です。この度は「箕面市平和のまち条例」の市民直接請求にあたり、多くの方のご支援とご理解をいただきありがとうございました。藤沢市長には誠に勇気づけられる意見書を添えていただき、敬意を表します。また、本日、箕面市民として自信を持って意見を述べさせていただくことができるのも、一連の役割を担当してくださっている市役所職員の方々のお陰であり、冒頭に感謝を申し上げて、私の意見陳述を始めます。
 私は大阪市内で生まれ育ち、結婚当初は実家の近くに住んでいて長女を出産しました。その頃はバブル全盛期で、胎児教育や0歳児教育などの情報があふれる反面、近所の公園では違法駐車や動物の糞、割れたガラス瓶、落書きなどで荒れ放題でした。私たち夫婦は安心できる子育て環境を求めて、娘が2歳の時に、自然豊かで、教育環境も多様な箕面市を選んで転居してきました。その後すぐに2人目の子どもを出産し、核家族ながらも友人やご近所の皆さん、お稽古事や幼稚園、学校の先生方など、本当に多くの方にサポートしていただきながら子育てをしてきました。この間、PTA活動やこども会活動はもちろんのこと、当時の女性ルームや生涯学習センター、らいとぴあ21などで開催される幅広い学習の機会を得ることができて、私が子どもの頃には、何となくしか理解できていなかった、目には見えない大切な「私の人権」について、しっかりと意識できるようになりました。特に、私自身が女性であり、母親ですので、子どもと女性の人権については、大変興味がありまして、現在はドメスティックバイオレンスと子ども虐待の分野や性教育の重要性について学習を深めています。そこで解ってきたことは、社会構造上の人権侵害の中で、「弱者」とされる子どもや女性、障がいを持つ人や高齢者が市民としての当事者性(自分自身が命や権利の主体であるという意識)を奪われているということです。そこで、まずは私の当事者性を回復したいという願いから、箕面市民のみなさんへ署名活動を通して「私の大切な命は国が守ってくれるだけでなく、自分で守ることが可能だ!」という発信にチャレンジしました。たった1ヶ月間でしたが、この反響は多くの人の予想を遥かに上回り、4,735人の署名・捺印という市民の能動的な行動を呼び起こすことができたのです。また、署名期間中は、見知らぬ方とも平和について語る時間が持てたことで、署名には至らなかった方にも、ご自身の平和への想いを再発見していただけたと感じています。それに、私の個人的な目標で、「今までお話したことがない議員の方ともお話することができた」ので、達成感でいっぱいです。残念なことには、この取り組みで出会った人の中には、何故か攻撃的な会話しかできていない方もいらっしゃいました。その時は、とても怖くて無力感に陥りましたが、今日、この議場では私たちの意見を傾聴していただき、大変嬉しく思っています。
 さて、私はこの活動に関わってきた人たちの声から、日頃すれ違っているだけではなかなか感じ取ることがない箕面のまちに暮らす市民の実感を聴き取ることができたので、是非お伝えしたいと思います。例えば多数のご意見としては「戦争をしたいと思う人なんていないでしょう。」「年寄りや子ども、弱いものが巻き込まれていくから、絶対に戦争は起こしたらあかん!」「武器を持ってて、戦争はなくならへん。」「経済優先の世の中が間違ってるな。アメリカの言いなりやからな。」「『日本は大丈夫』と言う人はお気楽すぎ。もっと危機感をもたないとね。」「『平和』は大事。『平和』をつくるためなら賛成やわ。」などです。こんなこともありました。街頭署名活動初日に出会った若い男性に、「無防備では、攻めてこられた時どうするんですか?」と不安そうに尋ねられたので、武器を使った暴力の連鎖では問題解決できないことはすでに明らかで、世界に目を向ければ、戦争で親が亡くなり、ケアもサポートも無くネグレクトされて心身ともに大きな傷を負ってしまう子どもたちが悲しみや辛さを押し込めて、再び怒りの感情だけで「戦争」へ向かう暴力の再生産の恐ろしさをお伝えし、国際人道法や日本国憲法が有効であり、この条例がつながっていることをお知らせできました。今回の活動の特徴のひとつに、「戦争を体験してきたから、もう戦争はいやだ。」と言って、多くの高齢者の方が寒い中震える手で一生懸命に署名してくださったことが感動的でした。特に印象に残ったエピソードをお話しますと、戦争体験者の男性おふたりは口々に、「あの戦争は侵略戦争やった。責任をとらなあかん。」「国が戦争をすることを許すのは国民や。国民は色々なことに関心を持たないといかんな。」と言われました。また、看護学生として長崎で被爆された方は、当時の事を克明に私たちに伝えてくださいました。その中のごくごく一部分ですが「女学校で仲良しだったお友達がみんな原爆で亡くなってしまったから、私はとても申し訳なく感じて、私はその人たちの分も生きようと思ってきたの。戦争の準備は、戦争が始まってからするものではないから「平和」な時にもう始まっているのよ。だから「平和」の時にこそ注意深く見ておかないといけない。」と教えてくださいました。きっと今日までには、お話を伺って私が感じた以上のご苦労がおありだったろうと思うと、『平和』の一言の重みを感じ、署名提出の日には、「すべての人の人権」を大切にできるこの条例制定の実現を希望し、藤沢市長にお届けしました。
 この箕面市には、全国に先駆けて1999年9月30日に「箕面市子ども条例」が制定されています。その当時、子ども課提案の内容は議会修正され、1994年に批准したこどもの権利条約と同じように『子どもを権利の主体』とするのではなく、子どもたちを『おとなが守る対象』とし、おとなの義務を謳った条例文になりました。一方、国会では2000年に超党派の議員採択で『児童虐待防止法』が可決され、2004年の改正法では、ついに「子どもが権利の主体である」と明記されました。近年のこうした動きの中で、この度の署名は箕面市内の有権者のみが参加できるものでしたが、無効になった署名のうちの約1割に上る50人近くが未成年の方のものでした。これは日々学校での平和教育が実を結び、私たちおとなの呼びかけに応答してくれて、『たとえ無効になっても署名したい!』と主体的に意見表明の機会にしてもらえたので感動しています。と同時に、「箕面市子ども条例」では、『おとなが守る対象』であるとして定義付けられたこの子どもたちを、心身共に傷つけることがないようにしなければならないという大きな義務を果たすには、なんとしてもこの条例を可決していただかなければならないと強く思いました。そんな矢先、昨年末のテロの影響で、修学旅行が急遽海外から国内に変更になった箕面市内の高校があります。該当学年の子どもたちは、とても残念な思いをしたと伺っています。学校やPTAの考えから言えば、我が子の身の安全を第一優先にするのは当然の選択だったことでしょう。しかし、子どもたちにとって、「入学時から楽しみにしてきた海外への修学旅行にテロで行けなかった。」という事実と心の傷は消えることはないのです。この傷の原因が世界各地で起こっている武器による暴力の行使であったのですから、私たちが箕面市で「無防備地域宣言」をして市民の安全を確保することを世界に発信すれば、子どもたちはおとなへの信頼と安心を回復してもらえるものと確信します。言うまでもなく、グローバルスタンダードは経済の標準化だけでなく、合わせて平和と人権についても地球規模での協調性を求められ、日々あらゆる分野で非暴力の問題解決方法で取り組まれる努力がされているものと理解しています。私はここにおられる議員の皆さんが、党派を超えたところでのお一人お一人の人権意識に基づき、ご家族同様に箕面の全市民を守ることが可能な「箕面市平和のまち条例」の有効性について正しく理解され、ただ一人の被害者も加害者もそして傍観者も作らないように、きっぱりと可決して安全なまちづくりに活用していただけるものと信じて疑いません。以上で私の意見陳述を終わります。
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by heiwa-minoh | 2007-03-04 06:20



箕面市で平和条例を制定すべく直接請求の署名を集めています 
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