箕面市平和のまち条例を作る会

意 見 陳 述 (1)

意見陳述書


 2007年3月2日に、箕面市議会本会議場で行われた箕面市平和のまち条例制定請求に対する(意見陳述)の内容を、陳述の順に掲載します。
(1)恩地庸之
(2)三宅裕子
(3)中井多賀宏
(4)古川佳子

(間に 傍聴記 などが入り、順序がずれましたが 修正できません。ご了承ください)



意 見 陳 述

2007年3月2日
箕面市平和のまち条例をつくる会
代表請求者 恩地庸之


まず、私たちの平和のまち条例制定請求に対して藤沢市長が賛成の意見を表明されたことを私たちは大変嬉しく思っていることをお伝えしますとともに、改めて感謝と敬意の念を表する次第です。

A. 反対意見に対する主張

今、全国の多くの地域で平和条例や無防備地域宣言の取り組みがなされています。他市で挙げられてきた論点も参考にしながら、本条例案の主な内容の論拠について申しあげ、次に私自身の思うところを述べさせていただいて私の意見陳述とさせていただきます。

1.まず、ほとんどの自治体でなされている平和宣言の類との関係です。こうした宣言があるので、改めて平和条例は要らないという反対意見があります。箕面市でも1985年に非核平和都市宣言がなされています。
この宣言は理念であり、非核の指標を示したものです。しかし今日の状況は、この理念
に逆行する様々の立法やキナくさい動きに満ちています。このような時に、この優れた宣言が色あせたまま、倉庫に眠ってしまうようなことでは何にもなりません。宣言の理念の実現のために、具体的な自治行政を進める必要があると考えます。この条例制定は、そうした具体的行政を求めてのものであります。宣言は「憲法にうたわれている平和の理念に基づ」くと謳っているわけですが、本条例案は、まさにこの憲法に基づいた平和行政の遂行を願い、それをひとつの根本として私たちのまちづくりを行なうことを求めているものであります。「宣言」は宣言のままでは実効を伴いません。「宣言」という大木に、条例という実をみのらせなければならないと考えます。したがって、屋上屋を重ねるといった性格のものとは全く異なります。

2.次に、これはもっともよく言われることですが、無防備地域宣言や、本条例案の第3条にある大量破壊兵器の配備、持ち込み、運搬等の禁止や市の財産を戦争目的に使わない等といった条項が、地方自治法第14条1項に抵触するという反対意見です。地方自治法のこの条項には自治体が「法令に違反しない限りにおいて」条例を制定できるとされている、すなわち、こうした条例制定は法律違反だからできないというものです。
この場合の「法令」とは、地方自治法を指しているとは思われません。こうした平和条
例や無防備地域宣言を制定してはいけないという規定は、地方自治法にはないのですから。そこで、よく言われるのが武力攻撃事態対処法や国民保護法との関係です。しかし、そもそも、これらの法律は戦争放棄を明記した憲法に違反しているものであり、したがって「法令違反」という根拠自身が成立していないと私たちは考えます。その上で申し上げますが、これらの法律にも、こうした平和条例や無防備地域宣言の制定を禁じる条文はありません。むしろ武力攻撃事態対処法第5条には「地方公共団体は、その住民の生命、身体、財産を保護する使命を有することに鑑み、国その他の機関と相互に協力し、武力攻撃事態等への対処に関し、必要な措置を実施する責務がある」という旨が記されています。武力攻撃事態等への対処に関し国等と協力するという条件も、あくまで「住民保護」のためと記されているのです。
国民保護法についていえば、この第9条2項には「国民の保護のための措置の実施にあ
たっては、国際人道法の的確な実施を確保しなければならない」旨定められています。この国際人道法にジュネーブ条約第一追加議定書が該当することは明らかですが、この議定書は、無防備地域宣言や軍事施設と文民の分離などを定めたものであります。
地方自治法第1条の二の冒頭には「地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする」と、地方自治の根幹が謳われています。そして続く第2項には、「国家としての存立にかかわる事務」など国との役割分担が述べられていますが、この役割分担はあくまで前項のこの規定の趣旨を達成するためとされており、また「地方公共団体の自主性および自立性が十分に発揮されるようにしなければならない」との念も押されているのであります。自治体が「住民の生命・財産を保護」することは、この地方自治法の冒頭にしるされた「住民の福祉の増進を図る役割」そのものであり、そしてそれは、もっとも住民の安全、福祉を阻害する有事のときにこそ、十分な意を払って、すべての自治体において発揮されるべきものであると考えます。
以上のように、こうした条例制定は地方自治法は無論、武力攻撃事態法にも国民保護法にも抵触してはいません。そればかりか、これらの有事法には、自治体の本旨である住民保護のための活動を保障する規定がなされてさえいます。国民保護法の国際人道法遵守の条項は、国が、この法律を制定するためにやむを得ず盛り込んだものとは十分伺えることではありますが、国がこれを無視していても、地方自治体が独自に判断をすることで、住民保護という本来の責務につくことができるのではないでしょうか。

3.無防備地域宣言は一地方自治体ではできないとの政府見解があり、これを基にした反論があります。しかし、これを規定したジュネーブ条約第一追加議定書第59条2項は、「紛争当事国の適当な当局」が無防備地区として宣言できるとしているおり、国に限定していません。これには、自治体が宣言することを想定し、宣言主体を「国」から「適当な当局」にしたという経緯があるとのことです。そして赤十字国際委員会のコメンタール2283号では、明確に、この宣言は「町長、市長、知事といった地方民生局から出されることもありうる」としています。解釈を勝手に曲げる政府の行為こそ問題なのではないでしょうか。

4.無防備地域宣言は自衛権の放棄だ、白旗を掲げるものだという批判もあります。私たちのこの運動には、殺されるのはいや、殺すのもいやという強い思いが根本にあります。無防備地域の宣言には、市民のこうした思想的な意味合いも反映されていると私は思いますが、いずれにしろ、仮に「占領」という事態になっても、住民の基本的人権を保障すべきとの、この国際条約も駆使をし、非人間的な支配は許さないという世界の人民の監視、あるいは包囲によって、地域の保全が確立されるようにしていきたいということなのです。

5.次に、軍隊や兵器の配備、運搬など軍事上の問題と自治体との関係ですが、これらの差配を直接自治体ができないことは自明ではあります。赤十字コメンタールによれば、この場合に、まず自治体は政府や軍当局との協議、合意に努めることになりますが、その際には、自治体は住民保護の第一義的責任を負う主体であること、地域住民の状況を具体的に把握していること、また政府・軍当局も文民保護の原則遵守を義務づけられていること、そうした責務、立場にのっとって、この協議、合意を進めることが求められています。
このように、条例や宣言にこうした内容を盛り込むことを違法とか筋違いなこととは言えません。むしろ、国が戦争への方向にある今のような時こそ、自治体や市民は国の施策に対して発言し、その変更を求め行動しなければならないと考えます。

以上述べましたように、条例案は、憲法、国際条約、そして地方自治法などに則ってい
ます。いうまでもなく法律も条例も、上部法規である憲法や国際条約に則り、また整合されていなければなりません。政府やこれまで反対されてきた地方議員が、国の最高法規である憲法に違反しているとの指摘が強い有事関連法に主に依拠して行なっている反論と、私たちの主張と、いずれが適法であり正当であるかはすでに明らかではないかと思います。

6.この条例制定の意味について強調したいことの一つは、これは、無防備地域の宣言をすること自身や、いわゆる有事に備えて条例をつくっておこうといった主旨より、むしろ平時において私たちの足元から憲法9条に沿ったまちづくりを進めよう、そしてジュネーブ条約第一追加議定書第59条の「戦闘員や兵器の撤去」など非武装の精神を具現した4項目が平素から意識されつつ平和構築への取組みが実践されるように、ということが主眼であります。こうした<今現在>の活動の方針、基盤として制定を望むものであります。
国際条約の活用もこのように提起をしているわけですが、この点については、「戦争を前提とした」ジュネーブ条約に依拠する平和条例には反対とのご指摘もあります。しかし、国際人道法もそうですが、このような指摘をしている方たちが評価する憲法もまた、様々の歴史過程の中で作られている法的基準の一つといえると考えます。その優れた内容を活かし、また、これを築いてきた人類の叡智と業績には評価と感謝の念をもって当たらなければなりませんが、また同時に、人類の真の解放という普遍的観点からは不十分性は持ったものと捉える必要はあると私は考えます。その意味で、私は、法律に過大な期待をするのはどうかと思いますし、法規範というのは、端的に言えば、活用できる内容を活用していくものだ、と捉えます。こうした意味でいえば、憲法が○であれば、条約も○のはずです。条約も憲法も、出自より内容です。まして、今の危うい時代に対する火急の課題であればなおのこと、部分的な相違をこえて大同団結する姿勢が求められるのではないかと思います。ぜひご賛同いただくよう訴えます。

なお、市長「意見書」では無防備地区宣言の時期および条件が不明と指摘されています。
この点については、私たちは本条例案第4条の「ジュネーブ条約第一追加議定書第59条に定められた」との記述により、これは戦時に際して宣言するものであり、「敵対する紛争当事者による占領に対して」という条件下で宣言するものと解釈されるとの認識であります。この「条件」が無防備地域の条件を指しているのであれば、同条2項に記されているとおりの4条件であります。また本条例第5条2の「平和推進委員会」については、これは「付属機関」として位置づけていること、第6条の「平和予算の計上」については、市長の予算編成権、議会の予算審議権を制約するものではないことを明らかにしておきます。

B.私の感じたこと

<なぜ戦争が起こるのか>

次に、この平和条例制定請求の取り組みを通じて私の思うところを、議会、そして市民の皆様にも訴えたいと思います。
今回本当に多くの方から署名をいただきました。これらの署名は、街頭での僅かな機会や、また百名に満たない受任者の知り合いからいただいたというものです。趣旨に賛同していただける市民は、実際にはこの何倍もあると想定するのが妥当だろうと思います。また、署名をいただいた方には保守政党の支持者もおられることでしょう。これだけ多くの人が戦争を忌避し平和を熱望する思いを持っているのに、なぜ国は逆に戦争への道をひた走るという状況がまかり通るのか、市民、というより国民の多くが、戦争は反対と考えているのに、なぜそれが政治に反映されないのか-。考えてみれば、不思議なことです。もちろん、「平和には賛成だが、国が戦うときには別だ」という人もいるでしょうが、私たちが署名活動で相対してきた中では、「とにかく戦争はあかん」と国の戦争を全面否定する人が圧倒的でした。なぜ、この声は生かされないのか。
それは、国の政治が戦争によって利益を得る者の権益を中心に行なわれているからに他ならないからだと思います。戦争によって利益を得る者とは誰か。いうまでもなく巨大企業群です。彼らは自らの権益を拡大する政治を期待する。巨大な資本を背景にしたこの期待は、自ずと実践される。すなわち政治家の多くが、この大資本家群のための政治的役割を担う者としてある。こうして国の方向が財界、政界の権力層によって決められる。そして彼らを保護する軍隊があり、また、この権力層に追随し、戦争となればおこぼれがあるだろうと期待する様々な層が支持をし補完している。基本的には、こうした構図に、いまの日本の国の政治は在ると、私は思います。
「いまさら陳腐なことを」という声が聞こえてきそうですが、しかし「社会主義」が退潮し、今は多様な価値観の時代ですといったところで、この原理、現実に変更が起きたわけでは決してありません。この最も重要な本質問題は、いま人々の目から遠のいているかのようですが、それは権力層によって必死に封印、隠蔽されているからにすぎません。
戦争はなぜ起こるのか。なぜいつまでも続くのか。平和は願うだけではやってこないと、私たち会の広報には書いています。そしてまた平和は叫ぶだけでもやってきません。懲りもせず戦争を起こす元のところを暴き、その仕組みを壊滅しなければ戦争はなくならないと思います。誰が、何のために、戦争を起こそうとするのか-。原因を把握しなければ、結果を得られないことは、ものの道理であります。
古今東西、戦争はまず侵略戦争でありました。先進国が後発国の安い労働力と市場、資源とを求めて、また先進国どうしがこうした国々への覇権と分割を求めて戦争をする。これが今までの世界の戦争の歴史でした。もっとも侵略は、侵略するほうが「これは侵略です」といって侵略はしません。それはかつてのように「五族協和」であったり「解放」であったり、また「世界平和への貢献」という名目であったりします。侵略の形態は、これからより巧妙に変化するかもしれません。美辞麗句で装うプロパガンダに隠された本質、事実を私たちは見逃してはならないと思います。
日本は、この侵略戦争を一段と過酷に、残虐に犯してきた過去を負っています。いま、国民保護法という法律までもってして、ミサイルが飛んできたらどうするかなどと、あたかも外からの侵略危機があるかのようなことが喧しく言われていますが、少し冷静に四囲の現実を見れば、私たちが心配すべきは侵略される危機ではなく、侵略を犯す危機であろうと思います。日本には侵略した歴史はあっても、侵略されたといえる歴史はありません。まして世界有数の軍事力を持つ今、とくにアジアとの関係で侵略、被侵略の関係が反転してきている状況など、どこを探してもありません。私自身は、平時、戦時を問わず、この無防備地域宣言4条件に共鳴を感じるのは、こうした考えにもよるところが大であります。

<地方自治体の役割>

国の政治がこうした構図にあり、戦争に向かう仕組みを持つ中で、それでは地方自治体は何をでき、何をしなければならないのか。まさしく、こうした時代状況にあるからこそ、自治体の毅然とした、かつ速やかな行動が問われていると思います。署名された方が、今まったく安心な「平時」であると認識されているのなら、これだけの数は集まらなかったと思います。
この条例案の法的根拠については、先に述べたように、厳然としてあります。しかし法律というのは、えてして反対の立場からは別の主張にも使われたりします。その時に問われるのは、その人の立場、思想だと思います。議員の皆さんが、自ら住むまちをどうしたいと考えられるのか、市民の思いにどう応えるのか、です。問われるのは、法的解釈のあれこれに専念することより、依拠するなら住民の保護、福祉を定めた法律にまず依拠をし、さらには主体性自主性をもって取り組むことではないかと思います。そのことを強く要請したいと思います。
自治体の自主的な取組みの事例では、-一市民が議員の皆さんに紹介などするのはおこがましいとは存じますが-、近くでは、入港する船艦に対して非核証明の提示を義務づけた、皆さん周知の神戸市市会決議があります。また神奈川県大和市では、2年前に制定した自治基本条例の中で「市長及び市議会は、市民の安全及び安心並びに快適な生活を守るため、厚木基地の移転が実現するよう努める」との軍民分離に沿った条文をつくっています。「自主性」と言えば、この大和市では、この条例でわざわざ「法令の自主解釈」との条文を設け、「市は、地方自治の本旨及び自治の基本理念にのっとり、自主的に法令の解釈及び運用を行うことを原則とする」とも制定しています。また苫小牧市では2002年の「非核平和都市条例」で「国是である非核三原則の趣旨が損なわれるおそれがあると認める事由が生じた場合は、関係機関に対し協議を求めるとともに、必要と認めるときは、適切な措置を講じるよう要請する」と、非核三原則の遵守に踏み込んだ姿勢を示しています。ここでは、平和・無防備地域宣言条例に対する反対意見の論拠の一つである「軍事・外交は国の専管事項」という観念は覆されています。いうまでもなく沖縄は、この「専管事項」に対し、最も熾烈に闘われている例であります。地方自治体として独創的に取り組まれ、闘われている例は、このようにいくつもあります。

最後に、真剣にご討議いただいた上で採択をいただけるよう改めてお願いをして、私の意見陳述を終わらせていただきます。
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by heiwa-minoh | 2007-03-04 08:00
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箕面市で平和条例を制定すべく直接請求の署名を集めています 
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